BLOG

2023.12.05

わからないものに向かっていくこと

修験道というものを通して信仰を深めていって、突き詰めた先になにがあるのか、どうなるのか実はよくわかりません。

20年以上もずっと向き合ってこれたのは、先がわからないから。

だからこそ求め続ける。

これやったらこうなるって分かりきっていることをやることに達成感はあるのでしょうが、失敗も含め想定できうることだけは、いまいちツマラナイ。

大自然に畏敬の念や美を感じることを通して、神との一体感のような何かものすごい感動があります。

愛とか思いやりとか真とか善とか美とか感謝とか最上のもの全て混ぜ合わせた何かとひとつになって振動してただたちすくすことしかできず。

芸術作品をみたり、人の優しさに触れた時にも感動しますが、神との一体感の感動は肉眼ではみることのできない史上最高の芸術と出会いみたいなものなのかしら。

誰でもできるなら真理を知り尽くし包容力があり喜んで人を助けるめっちゃ優しい人のそばにいたいですよね。

神を求めるのはそんな気持ちなのか。

求めるうちに少しでも自分もそうありたいと願い、幼子が母を求めるようにみえない神に突進していく。

どうなるか分からないのに真心を捧げる(祈り)ところに本当の愛が成立するんだよ、と聞きました。

信仰という名の芸術活動をしているのかもしれない。